「お前の考えることなんてすでに100人が考えているよ」の対処法
すげえいいこと考えてウキウキしながら話してみたのに、ボッキリ折っちゃう人いますよね。
「そんなもんさあ、もうお前が考えた時点で100人は考えてるから」
いや、わかるんですよ、その主張。
だって日本人のほどんどが学校教育を強制的にうけさせられています。
そこでは画一的な内容の授業を、みんなでせっせと消化していくじゃないですか。
みんな一緒がみんないい、みたいな世界観。
だからこそ、浮かんでくるアイデアとか思考なんてどれも似たり寄ったりになっても不思議ではありません。
ゆえに、すでに100人の先駆者がいるって主張はあながちまちがっていないと思うんです。
だからって、その主張を僕にぶつけてくる意味はどこにあるんでしょうか?
結構悔しいですよね、お前のアイデアに価値はないみたいな。
もちろん、アイデアにそもそもの価値はなくて、実行してなんらかの成果をうむ方に、実は大きな価値があるってのは一般論。
もしできるなら、僕のそんなつまらんアイデアを、どうやったら「先に考えついているはずの100人」をごぼうぬきできるのかってアイデアをくれたらいいのに。
なんて不満に思っていたんですけど、あるときちょっとびっくりすることがありまして。
知り合いの人に、さっきまでの話「そんなのすでに100人が思いついてる」問題を話してみたんですね。
僕はその理不尽やら、ただのマウント取りだのについて、これでもかとばかりに持論を展開してみたんです。
そんですごーくスッキリした〜ってくらい話し終えたんですけど、聞いてた人がこんなことを言ったんです。
「同じことを考えている人が100人いるなら、彼らは君の仲間になったり、お客さんになってるかもしれないよ?」
まあまあこれは衝撃でした。だってアイデアって早いもんがちみたいないところがあったり、その一方で奇抜さが目を引くところがあるじゃないですか。
その知り合いの意見にはなっとくしました。
どう考えても競争するくらいなら一緒にやった方がラクだし、お客になったらもっとラクになる。
敵でもなんでもなくて、ぼくの視野が狭かっただけの話。
まあ、100人の先駆者の話なんかよりも、自分がもっとみじめに思えたんですけどね。
ちなみに、世の中に出された製品やブランドの多くは、創業者が抱えている不満や問題意識を解消するために生まれたものだって思うんです。
例えばシャネルだったり、アウトドアブランドのパタゴニアだったり、タクシー配車アプリのUberだったり、Google検索だったり、あげればキリがありません。
彼ら創業者の掲げたビジョンはやはり多くの賛同者を得る一方で、はげしい競争に直面したりと、一筋縄にはいきません。
けれど、競争相手がいるのであればどこかに共感してくれる仲間がいるかもしれない。
だったら、「100人が先に考えてくれててよかった」なんて思えなくもないかなと。