就活も転職活動もまともにやらずに2社目に突入してしまった話

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ええ、就活はともかくとして、転職は無事に終了しまして、なんかベースの給料も増えて残業代がもらえるようになって、いろいろと社会科見学?みたいな気分です。

今回お話ししたいのは、まともな就職活動も、転職活動もせずに、なんとなく働いてる自分のこと。

なんですが、ちょっとまだまとまっていないので、簡単に学生時代、新卒時代、現職について振り返ってみたいなって思います。

 

学生時代はとりあえず女の子にモテることがすべてでしたので、ありとあらゆる努力をしました。

本当に残念なことに、僕の闘っていたマーケットでは「成績優秀」ってパラメーターはまるでモテ具合を左右してくれなかったんです。

その結果として、僕は勉学に勤しめずに大学を終えてしまいそうになります。

 

ところがそんな感じだったので、大学にもほとんどいかない、ゼミもサークルもやらない、ってなると、一般的に鍛えられるべき能力は鍛えられず、それから受験生時代に培った集中力とか知識みたいなのもどんどんさびていくんですね。

そうなるとまともに就活しても、キャッチアップする頃には「大学が好き過ぎて卒業し忘れたんですよ」って自己紹介が可能になってるんですね。

名誉の5年生ですね。

 

こりゃまずいってことで、一応就職活動をやろうと思いました。

だって、5年生になっても友達100人できるわけでも、みんなでおにぎり食べられるほど集団生活ができるわけでもないし、なにより生活ができないなあと。

なんと母親に言われたんですね、5年生になるか社会人になるかしたら家賃を〇万円払ってねと。

いままでノウノウと暮らしてたのに、もう僕のモラトリアムが終わりを迎えてる…あ、もう11月も近いんだなあと。

 

そんで就活始めました。

けれど、どうやって就活していいかわからなかったので、とりあえずApp Storeで就活?みたいな感じで検索してみました。

そしたらWantedlyってのがあったんで、それインストールして2スクロール。

とりあえず面接することになりました。

あ、いちおういままで自分が何してきたか?みたいなのは書かないといけなかったんで、人生の経歴をちょこっとだけご紹介しました。

 

そんでいつのまにか最終面接ってことになってて、その会社の社長と面談することになりました。

そしたらなんか知らないけど、その社長さんから、こんどシンガポールい行くんだよね、って話を振られました。

 

僕はここだ!ここだ!意識高いアピールするにはここだ!

ここでうまくいけば職が見つかる!ってことで、

 

僕も一緒に行きたいんですけど。

 

ってかえしてみたんですよね。

これで僕のやる気とが伝わって、気に入られるっしょって思ったんですね。

 

「はは、気持ちは嬉しいけどつれてけねえよ」ってリアクションを想定してたんです。

 

ところがその社長は、いいよ?おいで?これ、僕のチケット情報ね。

ってメール転送してきたんですねよ。

もう引くに引けないからその場でデルタ航空の往復チケットを入手しちゃいました。

 

はやく職を見つけて「色」(しょく)をあさりたいなあって思ってたんですが、まあまだ時間かかりそう。

とりあえずシンガポール一緒に行かせてもらおうってことで、おともしました。

 

ってな感じでいつのまにその会社で働いてました。

 

 

 

続きはまた今度

 

歩きながら歌を歌うのがキツいなら口笛を吹くのはいかがでしょうか

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僕は人の目を気にしないで生きていけると思っていたんですが、どうやらもそうじゃなかったんです。

 

女の子にモテたいがために、一人カラオケに時間を費やした大学時代。

結果的には女の子にモテるよりも、歌がうまくなっていくプロセスに絶大な感動を覚えてしまいました。

そのために高級なボイスレコーダーを購入して常に自分の歌声と音程をチェックしたり、あえて歌の上手い友人に聞いてもらってフィードバックを得るなどの、もう気の狂いように気が狂いそうになってました。

 

そんな歌がうまくなりたくてしょうがなかった大学時代。

学校に行く時間ですら歌に磨きをかけたくなってきたんです。

はじめのうちは録音した自分の歌声を流しては反省点を洗い出していただけだったのですが、いつからか、歩きながら歌を練習したくなったんですね。

 

そこで大学の近くとか、家の近所とかでちょこっと鼻歌を歌ったりしはじめました。

道を歩く人に、誰一人として歌っている人がいなかったので、社会的なタブーかなんなのかと思っていたんです。

けれど、鼻歌レベルだとやっぱり上達してる気がしないというか、ものすごい消化不良感なんですね。

だからやっぱり歌って練習して上達したいって気が優っちゃっいまして、周囲の人は歩きながら歌ってはいないけど、自分は歌ってもいいんじゃないか?って思うようになりました。

 

だから思い切って歌って見たんですね、駅前の交差点とか渡りながら。

そしたらたくさんの人が僕をジロジロしはじめたんです。

すごく嫌な感じがしました。

その目の配り方とか、頬の力み具合とか、振り向き方とか見ると、あきらかに僕を侮蔑しているのが伝わるんです。

もうなんというか、頼むから歌はないでくれ、ってのが言葉じゃない言葉となって僕を制止するんですね。

 

それ以来、歩きながら歌うってのはやめました。

ちょうど歌の上達スピードもかなり鈍くなってしまって、日々前進してる感じがなくなってしまったのもあって。

タイミングが重なってしまったんですね、関心が薄れて行くのと、嫌な思い出の。

 

それから数年の月日が経ったんですけど、最近すごく口笛にはまっているんですね。

これがまた奥が深いんです。

低音と高音をしぼりだすとき、どんな口の形してるかわかります?

それから、軽くビブラートを効かせようと思ったとき、どうやってコントロールします?

なかなか難しんですね、、だからこそなんか好きな楽曲とかを完コピできたときとか震えますよ。

そうです、これまた上達のプロセス自体が楽しいんですね。

 

んで、また僕は練習したくて練習したくて、朝会社に行くときも、夜に会社から帰るときもずっと吹きっぱなしなんです。

でも、でも。

なぜかまわりの人の目が気にならないんですね。

いや、僕も思ったんですね、前に道端で歌いながら歩いた時に感じた、心をズタズタにするようなあの鋭い視線。

もし世の中に「むすっと教」なるものがあるんだとしたら、あの場にいた大勢のひとのなかで僕だけが異端のど真ん中かもしれません。

要するに、口笛であれば、みなさんそんなに気にしてない様子なんですね。

僕の観測範囲だけの話ですけど。

 

なのでおすすめです。

 

 

 

 

ってな感じで短絡的におすすめするのも無責任なので、引き続き口笛を道端で練習して、みなさんの反応をみてみたいなって思っています。

 

ちなみに、音楽かけながらそれを口笛で再現してると、すごく楽しいですよ。

メロディと口笛が完璧にノッタときというか一致した時、神秘的な一体感に包まれます。

ええ、周りに目をやれるほどの余裕もない、途方も無いエクスタシーの波が押し寄せますとも。

2009年と2017年に中国に行って思ったこと

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中国やべえ!日本やべえ!

一部界隈で上のような風潮が巻き起こりました。

 

たしかに中国の沿岸部の大都市は「やべえ」かもしれません。

2017年、友人と深センに訪れた時のこと。

日本ではなじみのないサービスの群雄割拠状態です。

街には莫大なお金が流れ込み、次から次へと建造ラッシュ。

ものすごい勢いを感じさせられます。

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人々は垢抜けた服装をし、見知らぬ観光客にも実に親切でした。

が道で困っていると「どうした?何か問題あったか?どこに行きたいんだ?」なんて話しかけてくれたり。

深センの駅で切符の買い方がわからかったときも「大丈夫か?こうやって買うんだぞ。おい、香港ドルは使えねえぞ!これつかいな、お金」なんて親切にも巡り会えました。

日本を観光する中国人は、こんな「おもてなし」を日本で受けられるのでしょうか?

僕と友人はちょこっとだけ心配になりました。

まあ、日本よりはたしかに「やべえ」です。

 

でも思い返せば、2009年に深センの近くの広州に訪れた時も大きな衝撃をおぼえました。

「え、中国ってこんなに開発されてたの?」

「え、このエリアなんて都内の西新宿のオフィス街みたいじゃないか。」

「ってか、日本で報道されてるのって本当のことなの?だれも襲いかかって来ないよ?」

僕がはじめて中国に行ったのは、中国が日本のGDPを超えてすぐの頃でした。

その頃のマスメディアではこんな論調が主流でしたね。

「これからは米国と中国の超大国が国際社会を引っ張っていくんでしょう、でも中国の国内事情をご覧なさい。少数民族はすさまじいまでの弾圧を被っているではないですか。しかも劣悪な生産現場や、食品汚染。とても中国が日本に優ってるとは思えません。」

さて、10年ほど経過しました。

どこよりも中国の存在感がました10年でした。

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2000年代に訪れた中国と、2010年代に訪れた中国の印象。

場所は違えど、どうしたって衝撃の大きさははかりしれませんでした。

かといって、日本やべえじゃん、がんばれよ!なんて感想を抱くわけでもなく。

むしろ自分の中で日本に対するこだわりがそんなに大きくないことに驚きを感じました。

2017年に友人と中国を一緒に訪れたときにこんな話がでました。

「え、中国って日本より給料いいんでしょ?」

「なんなら中国の方が住みやすそうじゃない?」

「ってか勢いがある地域に住みたいよね」

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旅行や仕事で海外を訪れる機会が増えるにつれ、もしかしたら日本じゃない地域で住むのもひとつの選択なのかな?なんて考えてました。

そんなぼんやりした感覚は中国にふたたび訪れた時によりくっきりと現れてきたんです。

なんなら外国に住むのも、住めるように準備するのも、自分にとってはプラスになるなんじゃないかと。

 

ところが中国滞在も終盤にさしかかり、友人はやっぱり外国には住みたくない!と態度をいっぺんさせました。

深セン高速鉄道の駅にて、どうやら財布をスられたようです。

一刻もはやく日本に帰りたいと嘆く友人を前に、僕だけが中国に取り残された気分です。

 

「お前の考えることなんてすでに100人が考えているよ」の対処法

 

すげえいいこと考えてウキウキしながら話してみたのに、ボッキリ折っちゃう人いますよね。

「そんなもんさあ、もうお前が考えた時点で100人は考えてるから」

いや、わかるんですよ、その主張。

だって日本人のほどんどが学校教育を強制的にうけさせられています。

そこでは画一的な内容の授業を、みんなでせっせと消化していくじゃないですか。

みんな一緒がみんないい、みたいな世界観。

だからこそ、浮かんでくるアイデアとか思考なんてどれも似たり寄ったりになっても不思議ではありません。

ゆえに、すでに100人の先駆者がいるって主張はあながちまちがっていないと思うんです。

 

だからって、その主張を僕にぶつけてくる意味はどこにあるんでしょうか?

 

結構悔しいですよね、お前のアイデアに価値はないみたいな。

もちろん、アイデアにそもそもの価値はなくて、実行してなんらかの成果をうむ方に、実は大きな価値があるってのは一般論。

もしできるなら、僕のそんなつまらんアイデアを、どうやったら「先に考えついているはずの100人」をごぼうぬきできるのかってアイデアをくれたらいいのに。

 

なんて不満に思っていたんですけど、あるときちょっとびっくりすることがありまして。

 

知り合いの人に、さっきまでの話「そんなのすでに100人が思いついてる」問題を話してみたんですね。

僕はその理不尽やら、ただのマウント取りだのについて、これでもかとばかりに持論を展開してみたんです。

そんですごーくスッキリした〜ってくらい話し終えたんですけど、聞いてた人がこんなことを言ったんです。

 

「同じことを考えている人が100人いるなら、彼らは君の仲間になったり、お客さんになってるかもしれないよ?」

 

まあまあこれは衝撃でした。だってアイデアって早いもんがちみたいないところがあったり、その一方で奇抜さが目を引くところがあるじゃないですか。

その知り合いの意見にはなっとくしました。

どう考えても競争するくらいなら一緒にやった方がラクだし、お客になったらもっとラクになる。

敵でもなんでもなくて、ぼくの視野が狭かっただけの話。

まあ、100人の先駆者の話なんかよりも、自分がもっとみじめに思えたんですけどね。

 

ちなみに、世の中に出された製品やブランドの多くは、創業者が抱えている不満や問題意識を解消するために生まれたものだって思うんです。

例えばシャネルだったり、アウトドアブランドのパタゴニアだったり、タクシー配車アプリのUberだったり、Google検索だったり、あげればキリがありません。

彼ら創業者の掲げたビジョンはやはり多くの賛同者を得る一方で、はげしい競争に直面したりと、一筋縄にはいきません。

けれど、競争相手がいるのであればどこかに共感してくれる仲間がいるかもしれない。

 

だったら、「100人が先に考えてくれててよかった」なんて思えなくもないかなと。

クレジットカードを使いすぎてやばい

 

クレジットカードは僕にとっての財布です。

コンビニに行こうがカフェに入ろうが、買えるものなら支払いは「マスターカード」でも「VISA」でも「JCB」でもなんでも構わないんです。

とりあえずレジで接客をうけるときには「カードで」ってのが僕の口癖になりつつありまして、かれこれクレカ生活は3年くらい続いています。

 

そうしてクレジットカードばっかり使ってると、現金を使わなすぎてダメなんですね。

何がダメって、現金を使う気が全くおきなくて辛いんです。

例えばクレカ使えませーん、なんてお店の時が一番つらいです。僕の財布には基本的にお金が入っていません。

入ってても1万円くらい。

そんな状況で誰かとご飯にいったりだとか、飲みに行ったり。

ところがちょっとしたエラーで会計が財布に風穴をあけようもんなら大事件です。

決済手段がないのですからプチパニックです。皿洗いを申し出ても足りません。

 

まあまあ、そんな風に良くも悪くもカード生活が続いてしまいました。

大学生の頃は楽天カードユーザーだったんですが、今じゃ気がついたら楽天プレミアムカードになっていたり、なんか見知らぬカードが財布の厚みを作ってたりします。

 

でもあるときからクレジットカードが大変怖くなってしまいました。

僕は大変なアホだったみたいで、一時的に支払い能力をめちゃくちゃ上回る請求がきてしまったんですね。

そのときばかりはさすがに焦りましたが、とりあえずリボ払いに切り替えてことなきをえるんです。

でもよくよくかんがえたらリボ払いの支払いがなかなか終わらないだとか、そもそもの利率が消費者金融レベルと見紛うほどだったりして、まあびっくりです。

なので、クレジットカードに対する恐怖心が生まれてしまい、そんな恐怖心に駆られて家計簿アプリなんかつけ始めました。

 

いまでは家計簿アプリだけじゃなくてGoogleスプレッドシートに年次収支計画なんてつくったりしてます。

このスプレッドシートってのはなかなか優れものでして、まあ勝手にあーだこうだグラフ作ってくれてありがたい限りです。データ探索っていうんですけどね。

まあ、データ探索ってのはAIアシスタントみたいなもんで、こんな感じのグラフつくってみたよーみたいなことやってくれます。

それ見て僕はおもうんですね、ああ、7月は借金しないとけないのね、とか。

もういつでもお嫁にいけそうですね。主夫として。

 

そんな感じで、クレジットカードに依存しすぎた結果、まあたくさんの痛い思いと恐怖心を味わうことができました。

それからたくさんのポイントとマイルに恵まれました。

 

あとは結婚相手に恵まれれば僕のクレカスキルが力を発揮してくれるにちがいありませんのです。

このブログは僕の偉大なるマスターベイ「ショー」なのか

どうも初めまして。

今日からこのブログを始めたいと思います。

友人たちはこのブログを「偉大なるマスターベイ『ショー』」のことかとウキウキかもしれません。

さて、当ブログがテーマとしているのは以下。

  • 若手社会人
  • IT
  • 営業
  • 旅行
  • 語学
  • 書評

並べて見るとごくごくありふれた雑記ブログに見受けられます。

社会人生活で見てきた老害やらマウントおばさんやらの際どい「ショー」もあるっちゃあります。

ですが、このブログのもっとも大きな意義は、ちょっと生々しい情報をお届けするところにあります。

 

普段、僕は都内の一般的な企業に勤務している一方で、あちらこちらと落ち着きのない人生を送ってきました。

社会人生活2年目で転職を経験し、それまでにも本業とは関係のないところでいろいろな人とお仕事に取り組んできました。ちなみにもうすぐ3年目。

赤字のものもあれば、お金がもらえなかったもの(それは仕事とは言わない)まで、まあそれは良い思い出です。

ほかにもやたらめったらに海外旅行が好きなもんで、社会人になっても1年のうち1ヶ月は海外旅行に費やしています。

そんなふうに見聞きした情報やら、聞いた話はなかなか刺激的であったし、一般的な生活を送る上では丸で役に立ちそうにない情報ばかりでした。

そんな情報だからこそ、妙なコンテンツ=ショーをうむ原動力になるんじゃないかなと思っていたりします。

 

つまるところ、このブログが目指すところは常に軌道修正の先にあると思っています。

役に立ちそうな情報を発信したいと思いつつ、一番の読者は「じぶん」って決めつけているのはご愛嬌。

やはり友人たちは「偉大なるマスターベイ『ショー』」と呼んでは面白がってくれるに違いありません。

 

さて、次回はどんな「ショー」をご覧に入れまショーか。